April 25, 2006
はじめは、「掘れば出る」の簡単工法
昔は自噴、つまり自然湧出しているところが多かったんです。一カ所出ていれば、そのあたりはたいてい出ますから、20メートルから30メートルくらい手突きで掘る。掘る方法は苦竹で作った竹管を入れるんです。苦竹を火であぶって、まっすぐに伸ばし、中の節をくりぬく。その竹管を何本も継いでいく。一本と一本の直径を合せて、銅板を切ってハンダ付けして、上と下から針金でくくる。そうやって水がもれない竹管をつくっていきました。
その竹管の中へ竹ヘゴ(ヒゴ)を入れて、竹ヘゴの先に棒をつけてその先端のノミで掘っていくんです。別府の市街地は温泉までが浅いから、その方法でいいけど、山の上の方の地獄地帯を掘るときは岩盤が固いし、竹ヘゴが地熱で煮えてしまうから、鉄筋で「万力」をつくりだしてヘゴ代わりにした。ところが、ヘゴの先につけたノミをたびたび代えて焼き直さなければならんのに、「万力」だと重くて、深いところ上げ下げには時間がかかるので、ワイヤーで吊って、ウィンチで巻き上げるようになった。そうやって、必死に応じてつぎつぎ工夫して工法が発達していったんです。
掘削の工法が別府で開発された時代のあと、千葉から「上総(かずさ)掘り」という車を使った手突きが入ってきました。昭和31年くらいまでは「上総掘り」の時代。それから「パーカッション」という機械が入ってきて機械掘りの時代に入ります。そのあとは「ロータリー」という機械が入り、いまは「油圧式ロータリー」を使っています。(大塚隆司)
投稿者: otsuka-b 投稿時間: 11:36 AM