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地下水が少なくなった

April 25, 2006

 地獄を堀よると、見る人たちが「熱い湯が出たら危ねぇぞ」ち言うけど、そういうことは決してない。掘ると、最初は地下水が出て、その水が引くときカーンちゅうような独特な音がする。それから湯が湧いてくる。(金本)

 カーンというかどうかは知らんが、ゴボゴボちゅう音がする。昔は温泉掘るとき始末がつかんくらい地下水が噴きよった。いまは明らかに地下水が少なくなっている。(隆司)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 05:03 PM

シュロ皮のパッカーは別府の発明

 昔の温泉はどうやって湯を取っていたかというと、地下に入れた竹管から水圧で自然に上がってくるようになっていたわけです。地中の上の方は、地下水が流れている層があり、その下に温泉が流れているので、竹管を温泉のところまで入れます。竹管の下に方にはノコ刃でタテに切れ目を入れてあるので、そこから温泉が管に入ってきて、水圧で上まで上がってくる仕掛けです。


 問題は竹管に沿って冷たい地下水が降りると、温泉の温度が下がること。そのため地下水の温度が低いところと、高いところの境にシュロ皮でつくったパッカーを巻くことを発明しました。これは別府の発明で現在でも使われています。大阪あたりではゴムのパッカーを使いますが、ゴムはすぐに腐ってしまう。シュロが一番です。(大塚隆司)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 05:02 PM

車の中で走る

 手突きで掘ったのは、亀の井ホテル、日名子ホテル、白雲山荘・・・・・・亀川の国立病院にも地獄が噴きよった。(金本芳茂)
 上総堀りで最初に掘ったのは豊泉荘だった。(大塚隆司)
上総掘りで力が要るときは車の中に人が入って回す。早く引き上げなければならないときは、車の中で走りよった。この仕事に加わって手突きを始めた頃は、足の筋肉が腫れてトイレに行って座れんかった。(大塚勝之)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 04:56 PM

湯突きに歌があった

 大正時代は温泉を掘る人間を「どんごいしょ」と呼んでいて、私などは子どもの頃、よく「どんごいしょ、どんごいしょ」と言われたもんです。
 若い頃は「湯突きさん」というて、モテよったですよ。
 手突きをするときには、調子を合せるために歌を歌いよった。よくは覚えてないけれど、「巻いて取るのは糸屋のネェちゃん」というのがあった。(金本芳茂の話)
「サッサの宮には神主はおるかえ。おるにはおるけど、女の神主」というのもあった。(大塚隆司)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 04:54 PM

「掘る」より「排水」に金がかかった

伊勢別荘(のちホテル赤銅御殿)の温泉は私たちが仕事しました。30メーター掘るのに当時の金で百円くらい。ところが排水工事は千円くらいかかった。排水に難儀しよった。(金本芳茂)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 11:42 AM

はじめは、「掘れば出る」の簡単工法

昔は自噴、つまり自然湧出しているところが多かったんです。一カ所出ていれば、そのあたりはたいてい出ますから、20メートルから30メートルくらい手突きで掘る。掘る方法は苦竹で作った竹管を入れるんです。苦竹を火であぶって、まっすぐに伸ばし、中の節をくりぬく。その竹管を何本も継いでいく。一本と一本の直径を合せて、銅板を切ってハンダ付けして、上と下から針金でくくる。そうやって水がもれない竹管をつくっていきました。

その竹管の中へ竹ヘゴ(ヒゴ)を入れて、竹ヘゴの先に棒をつけてその先端のノミで掘っていくんです。別府の市街地は温泉までが浅いから、その方法でいいけど、山の上の方の地獄地帯を掘るときは岩盤が固いし、竹ヘゴが地熱で煮えてしまうから、鉄筋で「万力」をつくりだしてヘゴ代わりにした。ところが、ヘゴの先につけたノミをたびたび代えて焼き直さなければならんのに、「万力」だと重くて、深いところ上げ下げには時間がかかるので、ワイヤーで吊って、ウィンチで巻き上げるようになった。そうやって、必死に応じてつぎつぎ工夫して工法が発達していったんです。

掘削の工法が別府で開発された時代のあと、千葉から「上総(かずさ)掘り」という車を使った手突きが入ってきました。昭和31年くらいまでは「上総掘り」の時代。それから「パーカッション」という機械が入ってきて機械掘りの時代に入ります。そのあとは「ロータリー」という機械が入り、いまは「油圧式ロータリー」を使っています。(大塚隆司)

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 11:36 AM

「ふるさとの遺産」シリーズ

April 22, 2006

 

大分みらい信用金庫創立80周年記念
「ふるさとの遺産」シリーズ 1
別府~温泉読本

「温泉を掘る」 より

有限会社大塚ボーリング工業は、兄の大塚隆司さんが社長、弟の大塚勝之さんが専務。大分県だけではなく、九州全域、関西にまで仕事の場を広げている温泉掘削の専門会社だ。

「昔は朝鮮半島まで掘りに行ったことがある」という、百年近い歴史を持っている。
この仕事を始めたたのは大塚与市さんという、現社長と専務の祖父にあたる人。次に父である大塚正智さんが継ぎ、現在で三代目だそうだ。

金本芳茂さんは、大塚与市さんの弟で「昔は大塚じゃったけど、養子に行った」人。一世代前の温泉について詳しい。

投稿者: otsuka-b 投稿時間: 11:45 PM
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